岡山日日新聞社本社 岡山日日新聞は、昭和21年5月1日「夕刊岡山」の題号のもとに創刊され、伸展する郷土岡山県の歴史を日々の紙面に刻んできた。

 発刊当時は用紙事情が悪く、2ページ建てというささやかな紙面であったが、敗戦の虚脱感に沈む県民に「希望と憩い」を与える唯一の夕刊専門紙として、県下の隅々まで浸透した。

 昭和33年1月から経営の刷新が行われ、34年6月には、「夕刊新広島」を発刊して広島県へ進出。さらに35年12月には岡山市内山下に地上3階、地下1階の新社屋を建設した。また、新鋭高速度輪転機を導入するとともに「夕刊新広島」を統合して、題号を「夕刊新聞」と改め、3版制とし瀬戸内海沿岸各県へ進出した。

 36年4月1日から6ページ建て、週1回8ページ、43年4月から8ページ建て、その後週1回12ページ建てに踏み切った。44年4月、周辺町村を合併した大岡山市の実現を機会に、社名を岡山日日新聞社と改め、題号も「岡山日日新聞」とした。

 一方、関連事業として37年8月、岡山県下のトップマネジメントで組織された社団法人岡山県政経懇話会、さらに39年1月、産業界のコンサルタントとして設けられた社団法人瀬戸内海経済研究センター、続いて広告代理を業とする株式会社岡山新企画を43年2月に設立した。尚、瀬戸内海経済研究センターが発行していた「瀬戸内海経済レポート」は株式会社組織で発行されている。

 また、44年4月1日から新しく県民の電波として本格放送を開始した「岡山放送」にローカルニュースを提供、電波を通して県民との接触も一段と深まった。

 さらに54年11月には岡山駅前に新社屋を建設して全部門を統合するとともに、コンピューターを導入して鉛を使わないCTS(コールド・タイプ・システム)化へ踏み切り、最新鋭の新聞制作設備へ全面更新したほか、印刷設備の近代化を図るため、岡山駅前に新工場を建設、新鋭オフセット輪転機を導入。

岡山日日新聞社本社 平成5年10月8日から、紙齢16000号を迎えたのを機に、題号を岡山県の花である桃の花をあしらいリフレッシュ化した。

 平成8年5月に創刊50周年を迎えた。9年4月には高齢化社会を見据え全国で2番目に1行11文字を採用、基本文字を11%拡大した。さらに10年7月から全国紙と地方紙の新たな関係を目指し全国紙からニュース提供を受け、紙面のワイド化に踏み切り、順次制作システムの一新に着手。

 また11年開局のFM岡山にもローカルニュースの配信を開始、夕方の県内ニュース番組として県民に定着した。16年4月には本社屋を岡山市蕃山町に移転。新電子編集システムを稼動させ、紙面を常時カラー化するとともに電子新聞とデータベースを融合させたユニークなシステムを開発、インターネットを通じてエリアに関係なく岡山日日新聞購読を可能とした。紙面の内容充実を図りつつ10月からは16ページ建てでの発行を開始した。

 ニュース報道の傍ら、地域社会に貢献するため、さまざまな関連事業を行っている。岡山日日新聞賞、岡山日日新聞芸術文化功労賞のほか、岡山日日新聞善行賞を贈呈している。さらに毎年、岡山県経営者トップセミナーを開催。かなめ会舞踊公演会などを開催しているほか、スポーツ関係でも、プロ野球阪神タイガースのオープン戦、公式戦をはじめ、岡山県少年野球大会、岡山市中学校駅伝大会などを毎年主催している。

[ 地図 ]
>> トップページへ  >> 紙面(平成15年元旦号)210k